ダイビング。親の死に目にあえない仕事。

すごい寒いです。外に出ると耳がちぎれそうに痛いです。夜は顔だけ自分の部屋で凍傷起こすかと思うくらい冷たいです。冬ってこんな寒かったっけ???

ただ今日本に居ます。

FBの方で既にご存知の方も多数なのですが、10日の日曜日に父が亡くなりました。

その日はガイドでラチャヤイ3ダイブでした。お客さんはチャイニーズニューイヤーで遊びに来てたマレーシアのカップル。1本目のダイブを終えて、2本目のブリーフィングも終わらせ、「あと10分くらいでまたウエット着て準備してくださいねー。」と伝え、何気なく、バックの中の携帯を見るとmiss callが。見ると「JapanHome」こんな中途半端な時間に電話があるという事は(常日頃から、私が電話しない限り、家から電話という事がない家庭)たいがいよくない事だなあと、感じながらも家にかけると、すぐに姉が出た。
「お父さん死んだで。今日。」
半分予想はしてた答えだったんだけど、それでもなんか現実味がなくて「うん、すぐ帰る。でもまだ船の上だからまた後で電話する。でもなんで?また入院してたの?」とか聞いても、「ああ、もう忙しいで帰ってから話すわ」ガチャン。
と電話が切れた。すぐにAlwinに連絡を取ろうと、同じ日、別の船でラチャヤイに来てたキリンさんに電話するけど、向こうももうすぐエントリーらしく、つながらない。船は見えてるんだけど。
すぐにキャプテンルームに行って、「AOSに無線してツアーリーダー呼び出してくれ」と頼んで、無線する。そのときに、私の乗ってる船のボーマスに「お父さんが死んだ。」と言葉にしたところで涙がブワーーーーッと出て来て、そこでおいおい泣いた。そうしたら無線がつながって、キリンさんが出たので、「パパが死んだ。」と伝える。

ボーマスが、「もう潜らない方がいい。代わりに僕が行ってあげるよ。」と言ってくれ、その言葉に甘える事にした。そう、次にすぐに日本に帰りたいんだけど、私はもう1本潜ってしまってる為に、もう既に今日の飛行機には乗れない。その前にも連日潜ってるから、いくらコンピューターが18時間後ならいいと言ってても、皆「24時間は空けた方のが絶対にいい。」と言うので、少なくとも今時点(10日の11時)から24時間後のフライトを探さなくちゃ行けない。飛行機を選んでる場合じゃないけど、取りあえずそのままお世話になってるパトンのJ&Rさんに電話「すみません、今から24時間後のどのフライトでもいいですのでセントレアまで一人お願いします!あ、でもあまり高いのはやはり無理。」と電話をしたら、翌日深夜の大韓航空が、12日のお昼着で、それが一番いいでしょう。と言う事になり飛行機は取った。料金は26690B。SQだと3万越えだ。

ダイビングという仕事についたときに、「これで親に何かあっても、すぐに飛行機に乗って帰る事が出来ない仕事なんだよなあ」と博然と思っていたけど、実際にこうなると、すぐに帰りたいのに、何もする事が出来ないこの時間がなんてもったいない事か。ああ、ダイビングを知らないお友達になんで飛行機にすぐ乗れないかというと、私たちはダイビングするときは圧縮空気を吸うのですよ。その空気の中に入ってる窒素。これは私たちの身体には必要ない物だけれども、それがゆっくりと身体から抜けるまでに12時間から24時間くらいかかるのです。身体の中に必要以上の窒素があるまま、高度の高いところに行くと、窒素の泡が血液中で膨張して血管を詰まらせ、身体のどこかに溜まり、減圧症になってしまうのです。だから私たちはダイビングをすると、窒素のレベルが正常になるまで高いとこには昇れないのです。

で、私のお客さんはこの日、別のエージェントのイントラがお客さん1人だけだったので、「いいよ、2人増えたって問題がないから」と、私のお客さんも持って行ってくれる事に。別のお店のお客さんなのに、本当に申し訳なかったです。「だって、エージェント違うし...。」と言ったら、「助け合わなきゃ!」と言ってくれて、本当に助かりました。そしてキリンさんから電話で「こちらの船は2本だから、迎えに行こうか?」と言ってくれ、うちのボーマスも「とにかく早く陸についた方のがいいと思う」と言って私は別の船で帰る事になったけど、ディンギーないから、移れない。でもたまたま、うちの船が、SSDとドッキングしてて、SSDのボーマスに理由を話したら、「うちの船は遅いけど、それでも3時半までには帰れるから、うちにおいで」と言ってくれて、私はそのまま荷物をまとめ、SSDに移る事にした。Latitude のボーマスもSSDのボーマスも2人とも「僕の胸で泣きなさい」と、ヨーロピアンならではのジョークも効かせて慰めてくれるから、この2人の胸で私はおいおい泣いて、実はキリンさんの胸では泣いてないという後日談もあり。

港についたらキリンさんが待っててくれてて(そして私は靴を船に忘れてて、翌日港に取りに行くというハプニング有り。クロックスしか持ってないからこの靴がないとビーサンで真冬の日本に帰らなくちゃ行けない)、いったん家に帰って、そのままパトンのJ&Rに行く事にした。折しもその日はチャイニーズニューイヤーまっただ中で、朝、うちらが出かけてチョビが庭で留守番してる最中にお隣さんが激しく爆竹ならしてチョビがパニック起こして、すごいかわいそうだったんだけど、(玄関の扉あけると真っ先に中に入ってベッドルームに直行して出てこない)無理やり外に出して、パトンに向かいチケットを受け取る。

そして迷惑をかけたAll4にも挨拶して、(皆が抱きしめて慰めてくれた。それでまた泣いた)2月末に仕事約束してたショップさんにも謝りの電話とかして、翌日の朝、キリンさんが「やはり僕も行った方のがいいと思う。」と言いだし、私は最初は「チョビの面倒見てて」と言ってたんだけど、「フミコのパパは僕のパパだから、ちゃんとあって挨拶したい」と言う事になって、キリンさんにはキリンさんなりの礼儀があるんだろうなあと思い、キリンさんはその日からOWが始まったんだけど、クラスルームとプールで海洋実習はキャンセルしてお昼に帰って来た。飛行機は行きはすぐに取れたんだけど、帰りがやはり韓国→プケはなかなか取れなくて、2週間後の26日が一番最短で、キリンさんは二週間。私は取りあえず4月の上旬でチケットを取った。心配してくれたレックさんも翌日うちに来てくれて、本と、アリガとね。

姉達も忙しいから、メールを送っても一言しか帰ってこない。ただ、電話したときは「日本に着くのが12時半になる」と言ったら、「ちょうど良かった式は2時からだよ」と言われ、
取りあえず、キリンさんも行くという事、喪服はどうしよう。と言う事を後でメールで送ったら、返事は「喪主の挨拶あんたがやる事になったからね」と帰って来た。

「は?????????何も分かってないのに、どうやって!!」とこのメールで軽くパニック。

しかし困るのはキリンさんの喪服。絶対見つからないし、サイズがないでしょうと、その日の午後からセントラルに行って、取りあえず黒いパンツとシャツをZARAで購入。(どこの気候見てWinterなんだかウインターバーゲンで半額。でも合計3000Bくらい)後は黒い靴(30センチ)2700Bで見つけて何とかゲット。ジャケットは安くても5400Bもしたのでキリンさん「シャツで大丈夫!」と買わずに。その時の私たちは外気温36度のプーケットで、既に冬がどういう物かという事を軽く忘れていたような気もする。

チョビはドッグパークに預けて(それはそれでチョビさん嬉しそう。飼い主としてはフクザツ...)
そしてThaidaraさんに送ってもらい、日本へ。

乗り継ぎのインチョンは雪景色だった。

セントレアにつき、前回外国人入国審査がすごい並んだので、超早歩きで、ほぼ一番乗りで外国人入国審査を通り、12時20分着の飛行機で荷物も受け取り、表に出たのは12時35分だった。ここからは公共機関使ってたら間に合わないので、苦しいときのとびちゃん頼みで、すごいわがままなお願い聞いてくれたとびちゃんが迎えに来てくれてて、一路、斎場へ。見慣れた親族がいる中「お久しぶりです」と挨拶しながら控え室に行って、姉達が用意してくれてた喪服に着替え、キリンさんも、ちんちくりんだったけど、喪服が用意されてて、ジャケットだけ着た。

で、棺の中のお父さんと再会。12月10日に帰ったばかりだったのに。お父さんは本当に眠ってるみたいで「すごいキレイにお化粧してくれたんだね、生きてるみたい」と言ったら、母が「バカ言っちゃ行かんよ。男は化粧なんかせんよ。そのままだよ」と言ったので、すごい驚いた。
遺影は脳梗塞を起こすまえの元気だった頃の父の写真が使われてた。因に姉2人もあっという間だったので、誰も父の死に目に間に合いませんでした。

で、ここからは多少嫌らしい話になるんだけど、姉が「ごめんだけど、Alwinは一般席に座ってもらわんと行かん。おじさんがうるさいもんで。」うちらは結婚してないのでキリンさんは喪主側には座ったら行けないと言われ、「そんな作法も(私も)分からんのに。じゃあ私も一般席に座るわ」と言ったら「杉浦の名字はあんただけだから、それはいかん」と。

めーんーどーくーせーーーーーーー!!!!!!!!

まあ、父が倒れて10年、いい意味でも悪い意味でも私ら家族を一番心配してくれてたのが、この父方の親戚の叔父なので、うちらも逆らえないのだ。葬式も大分口出しがあったらしい。私が多分その場におったら「ウルセージジイ!!!」とキレていた事間違いない。

でも葬儀は滞りなくすすみ、元気な父の写真を見るたびに涙がこぼれ、思い出すのは父との思い出...。テレビのチャンネル争いでぶっ飛ばされた事、学生時代帰りが遅くなってひっぱたかれて外にたたき出された事、父の言う事を聞かないとけった押されて外にほっぽり出されて、泣きながら犬小屋の中で愛犬ドルと過ごした事...。いや、そんな事じゃなく、もっといい思い出を...。と考えていたら式が終わった。喪主の挨拶は長女がやってくれた。しかし、もう本当に涙がダーダーと止まらなかった。

感動したのは長女の長男。お父さんにとっては初孫で、彼が小さい頃はたいそうかわいがってた。なので、彼ももう25歳になるんだけれど、(来年結婚...。あううう)将太も本当におじいちゃんの事が好きだったので、おじいちゃん宛に手紙を書いて来てた。後は式の翌日、将太が子供の頃によく連れて行ってもらった渥美のハゼを釣った海岸と、よくおにぎりを買ってたお店とか写真を撮ってとどけてくれた。次女側の息子達も、みんな、孫が全員男の子なのに皆泣いてた。それだけ、頼れるおじいちゃんだったんだよね。お肉ちゃんが生まれた秋に(次女の次男)脳梗塞で倒れた父。なので、お肉ちゃんはもう赤ちゃんみたいな父しか知らないけど、それでも泣いてくれた。(悪さもしてたけど)

後日母が「全然気がまわらんかったけど、手紙、読んでもらえば良かった」と、悔やんでた。

で、改めて父の死因を聞いたら、「心不全」だった。
あの日、朝普通に起きて、普通にご飯を食べて、母と散歩に出かけてた。そして家に帰り、ベットに戻ったら「やあ、うんこがでた」と父が言ったそうだ。「朝も出たのにまた出たの?」と言いながらおむつを見たら、出てて、(多分、体が緩んで来てたのかなあ?)おむつを替えてしばらくしたら、「悪い、また出た」と言われ、こりゃシーツから替えんと行かんわと、父をもう一度車いすに移して、シーツを変え、ふと父を見たら、カクんとなってたそうだ。で、顔がもう今までと全く違った風に見えた母は「これはあかん!」と思いながら救急車に電話。「息はありますか?」と聞かれた母は「あります」と。(多分もう呼吸は止まってたと思うけど、あったように見えた)CPRをするように言われたけど、どうやっていいのか分からず、車いすから父を倒し、ずるずる引っ張って、CPRをしたところで救急車がきて、亡くなったのは病院で。と言う診断が出たけど、多分父は家で亡くなったんだと思う。

泣きながら、「お父さんの最後の言葉が、うんこでちゃったなんて...。どこまでもキレイ好きだったから、キレイにして逝きたかったのかねえ...。」ともう泣き笑いだ。

火葬場は親族のみがついて行き、父が焼かれてる間に私はキリンさんと、愛犬リキのお墓参りに。10年前に父が脳梗塞で倒れたときに、まるで身代わりになるように死んでしまったシベリアンハスキーのリキちゃん(♀)の共同慰霊碑がこの火葬場のそばにあるので、寒いのを通り越して痛い風の中を「ようやくお父さん、リキのとこに行ったからね。」と伝えて来た。しかし本当に、あと1か月待っててくれたら、もう少し温かかったのに。ついでにキリンさんに桜も見せれたのにねえ。お父さん。

そして、本当なら式も午前中にやるところだったんだけど、前日が友引で、火葬場の予約が4時じゃないと取れなくて、だから式が2時になったと聞いた。別に私を待っててくれてる訳でもなかったんだけど、お父さんがそうしてくれたのかなあ?と思わずにはいられない。

初七日法要もそのまま斎場で行い、来てくれた親戚にお礼をいい、さあ、うちらも家に帰るか。と帰ろうとして気がつく。お父さん置いたままだよ!!!斎場の方も「お父さんが主役なんで置いて行かないように」と。いやでもしかし、忘れてく家族も多いだろうなあ。もう短期間で頭がいっぱいいっぱいでお骨と位牌と写真、会場に残したまま帰っちゃう家族。危うくうちらもそうなるところだった。

帰りの車の中で、姉が「日曜日も大変だったんだよ。お父さん家に連れて帰るのに、お母さんが家の鍵をどっかにしまっちゃって、たまたま締め忘れてた窓から入って鍵開けただよ〜。あやうくおとうさん、窓から帰らにゃいかんとこだったんだよ〜。」と言いながら家についたら母が「鍵がない....!」またかよ!!!!

で、喪服着たまま裏の狭い窓から入ろうとする母を止めて(次女の旦那が入ってくれた)母が持ってた父のお骨は玄関の表に置いたままになってて「ああ!お父さんこんな冷たいとこにほかられて!!」と、姉に抱き起こされて、最後の最後まで、お父さんごめんね。ちゃんとしてあげれんくて。と泣き笑いだった。鍵は結局冷静にゆっくり探したら、バックから出てきました。

そしてその夜、取りあえず私の昔使ってた部屋に布団を敷き、部屋に入ったらキリンさんが一言。
「なんで窓が開いてるの?」

閉まってますよ。ただ隙間だらけで風がぴゅーぴゅー吹き抜けてるだけです...。

親は子供よりも先に逝ってしまうモノ。そう分かっていたけど、私の年齢よりももっと早くに親を亡くしているお友達もいるけど、こんなに悲しいものなのね。
小さいときは父の暴力がダイッキライで、思春期は皆もそうだとおもうけど、父とどこかに行く事を毛嫌いして、イヤな娘だったりもしたけど、たった一人のお父さん。

動物園に連れて行ってくれたこと。海が大好きだった父は、私たち子供を連れてしょっちゅう海に来てた記憶もある。気が短くて、すぐにけんか腰になってたけど、涙もろくて、2人の姉の結婚式はおいおい泣いてた父。病に倒れてからは、もっともっと涙もろくなって、私が帰ってくる度に泣いてくれた。外国人の彼氏を持ったのがちょっと自慢したかったらしくて、自分もしゃべれないくせに「あれは英語でなんて言うんだ??」としょっちゅう帰国する私に聞いて来た。最後にキリンさんに聞いてたのは「薬を英語でなんて言うんだ?」Alwinが余りにも発音よく「Medicine」と答えても聞き取れず、その数分後に「薬は英語でなんて言うんだ?」と聞いてた父。大好きだよ、お父さん。今までもこれからもずっと、大好きだよ。

そして10年という長い年月をただ父の為に介護していた母。今は母が心配だ。これで私が帰ったら本当にひとりぼっちになってしまう。

キリンさんが母に「このたびは御愁傷様です。パパがいなくなって寂しいですが、僕も息子なので、手伝える事があったら、何でもします。2週間、大人しくしてます。」と、私が母に伝えたら、「ンじゃ息子よ。家建てて。」と。

キリンさん。父が叶えれなかった夢、君に期待がかかってるぞ!がんばってくれ!笑
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by papaya_mango | 2013-02-18 13:30 | 脳梗塞 /介護

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