カテゴリ:脳梗塞 /介護( 19 )

散骨、伊良湖ドライブ

生前父は「死んだら骨は海に流してくれればいい。」と言っておりました。
脳梗塞起こして動けなくなる直前まで、暇があればハゼ釣りに行っていた父。
行くところは大体伊良湖岬の伊河津の港か中電のそば。

多分子供の中では私が一番父の釣りにつきあってない。んだけど、昨日は(多分一番つきあった)長女、母と叔母(父の姉)とで昨日は父を偲ぶドライブなんて行って来た。

道も昔父が使ってた近道を探すんだけど、10年も行ってなかったら、23号線がバイパスで延びて来てて、景観は全く変わってしまい、同じところをぐるぐる回るはめに。

私が高校1年のときに、中学時代の友人7人と自転車で伊良湖まで行ったとき、その前の週に父に車に乗せてもらって、曲がるとこの目印とか、信号の名前なんかを書きながら国民休暇村に向かい、当日は父がトラックで着いて来てくれた。(自転車は片道だけで、帰りは自転車を父が車に乗せて私たちはバスと電車で帰った)遊ぶ事に関して、いろんな協力を惜しみなくしてくれた。が、本当に道は変わってしまってて、でも覚えのある建物を見つけると「あったあった」とすごく嬉しい。

私は前回の10月にキリンさんとドライブに来てたんだけど、やはり迷子になった。笑(特に国府から前芝に抜ける当たり。素直に23号じゃなくて父の使ってた下道を探したかったんだけど、23号のせいで、通り抜け禁止の道になっててショック...)

そして中電の見えるとある場所に、父の骨の一部を流してきました。
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ちゃんとした散骨ではないので、たくさんは流せないから本当に少しだけ。
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が。本当は散骨するのなら骨を細かく砕いて、とあったんだけど、どうしても砕く事が出来ず、(なんか痛いような気がして)細かいのを選んで、そのままパラパラまいたら、骨のかけらは岩場の隙間に落ちてしまい「お父さんはまって動けんくなっちゃった!ごめん!!」と謝りましたわ。

水は割と奇麗だった。ゴミはいっぱい打ち上げられてたけど。

しかし、本当にうちらも自由というか、本当は散骨とか49日過ぎてからなんだよね。
、ああ天気いいから昨日行きましょうと49日前なんですが。まあお父さんも許してくれるでしょう。

そして、お昼ご飯。時期もタイムリーで、なんか今どんぶり街道 菜の花祭りなんてのをやってた。
田原市内のいろんなレストラン43店が、オリジナルの丼を提供して、スタンプ集めるとなんかもらえるらしい、が、全店制覇は無理だわ。
しかも、パンフレット見て、「この店行きたい」と思ったとこは全て火曜定休。だめじゃん。

でも、伊良湖ガーデンホテルのすぐそばにどんぶり街道の旗出してた店があったので、そこに入る。
呑海(どんかい)、と言うお店。
店はすごい古い感じの昔ながらの食堂という感じなんだけど、芸能人との写真とサインが半端なかった。で、全員が大あさり天丼1100円を頼む。
出てくる↓
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絶対無理...。天ぷらって、最初はいいけど、やはり油の固まりを食べるから、女年寄りはかなり辛い物になると昨日勉強しました。でも味はいいのよ。美味しかったけど、間違いなく残すので、Doggy bagを頼みたかったら「うちはそう言う事はやってない」と言われてしまった。残したら捨てるだけじゃん。もったいないけど、うちらもビニールなんて持ってなかったので4人で余裕で2人分くらいの天ぷらを残す事になった。すごいもったいない。こういう無駄にする文化が私は好きじゃない。
でも食べられなかった。

後はもう車の中でみんな「きもちわるいーーーーー。はらがさけるーーーーーー。」の連発。

その後は恋路が浜にちょっと立ち寄り、菜の花見て帰って来ました。
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姉がたいそう(横に)でかい為、私がすらっとして見えるwwwwこれからはいつも長女の隣で写真を撮ろう。

でも春の伊良湖ドライブ、楽しかった。父も10年ぶりに伊良湖に行けて、楽しかったと思いたい。
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by papaya_mango | 2013-03-20 13:25 | 脳梗塞 /介護

ダイビング。親の死に目にあえない仕事。

すごい寒いです。外に出ると耳がちぎれそうに痛いです。夜は顔だけ自分の部屋で凍傷起こすかと思うくらい冷たいです。冬ってこんな寒かったっけ???

ただ今日本に居ます。

FBの方で既にご存知の方も多数なのですが、10日の日曜日に父が亡くなりました。

その日はガイドでラチャヤイ3ダイブでした。お客さんはチャイニーズニューイヤーで遊びに来てたマレーシアのカップル。1本目のダイブを終えて、2本目のブリーフィングも終わらせ、「あと10分くらいでまたウエット着て準備してくださいねー。」と伝え、何気なく、バックの中の携帯を見るとmiss callが。見ると「JapanHome」こんな中途半端な時間に電話があるという事は(常日頃から、私が電話しない限り、家から電話という事がない家庭)たいがいよくない事だなあと、感じながらも家にかけると、すぐに姉が出た。
「お父さん死んだで。今日。」
半分予想はしてた答えだったんだけど、それでもなんか現実味がなくて「うん、すぐ帰る。でもまだ船の上だからまた後で電話する。でもなんで?また入院してたの?」とか聞いても、「ああ、もう忙しいで帰ってから話すわ」ガチャン。
と電話が切れた。すぐにAlwinに連絡を取ろうと、同じ日、別の船でラチャヤイに来てたキリンさんに電話するけど、向こうももうすぐエントリーらしく、つながらない。船は見えてるんだけど。
すぐにキャプテンルームに行って、「AOSに無線してツアーリーダー呼び出してくれ」と頼んで、無線する。そのときに、私の乗ってる船のボーマスに「お父さんが死んだ。」と言葉にしたところで涙がブワーーーーッと出て来て、そこでおいおい泣いた。そうしたら無線がつながって、キリンさんが出たので、「パパが死んだ。」と伝える。

ボーマスが、「もう潜らない方がいい。代わりに僕が行ってあげるよ。」と言ってくれ、その言葉に甘える事にした。そう、次にすぐに日本に帰りたいんだけど、私はもう1本潜ってしまってる為に、もう既に今日の飛行機には乗れない。その前にも連日潜ってるから、いくらコンピューターが18時間後ならいいと言ってても、皆「24時間は空けた方のが絶対にいい。」と言うので、少なくとも今時点(10日の11時)から24時間後のフライトを探さなくちゃ行けない。飛行機を選んでる場合じゃないけど、取りあえずそのままお世話になってるパトンのJ&Rさんに電話「すみません、今から24時間後のどのフライトでもいいですのでセントレアまで一人お願いします!あ、でもあまり高いのはやはり無理。」と電話をしたら、翌日深夜の大韓航空が、12日のお昼着で、それが一番いいでしょう。と言う事になり飛行機は取った。料金は26690B。SQだと3万越えだ。

ダイビングという仕事についたときに、「これで親に何かあっても、すぐに飛行機に乗って帰る事が出来ない仕事なんだよなあ」と博然と思っていたけど、実際にこうなると、すぐに帰りたいのに、何もする事が出来ないこの時間がなんてもったいない事か。ああ、ダイビングを知らないお友達になんで飛行機にすぐ乗れないかというと、私たちはダイビングするときは圧縮空気を吸うのですよ。その空気の中に入ってる窒素。これは私たちの身体には必要ない物だけれども、それがゆっくりと身体から抜けるまでに12時間から24時間くらいかかるのです。身体の中に必要以上の窒素があるまま、高度の高いところに行くと、窒素の泡が血液中で膨張して血管を詰まらせ、身体のどこかに溜まり、減圧症になってしまうのです。だから私たちはダイビングをすると、窒素のレベルが正常になるまで高いとこには昇れないのです。

で、私のお客さんはこの日、別のエージェントのイントラがお客さん1人だけだったので、「いいよ、2人増えたって問題がないから」と、私のお客さんも持って行ってくれる事に。別のお店のお客さんなのに、本当に申し訳なかったです。「だって、エージェント違うし...。」と言ったら、「助け合わなきゃ!」と言ってくれて、本当に助かりました。そしてキリンさんから電話で「こちらの船は2本だから、迎えに行こうか?」と言ってくれ、うちのボーマスも「とにかく早く陸についた方のがいいと思う」と言って私は別の船で帰る事になったけど、ディンギーないから、移れない。でもたまたま、うちの船が、SSDとドッキングしてて、SSDのボーマスに理由を話したら、「うちの船は遅いけど、それでも3時半までには帰れるから、うちにおいで」と言ってくれて、私はそのまま荷物をまとめ、SSDに移る事にした。Latitude のボーマスもSSDのボーマスも2人とも「僕の胸で泣きなさい」と、ヨーロピアンならではのジョークも効かせて慰めてくれるから、この2人の胸で私はおいおい泣いて、実はキリンさんの胸では泣いてないという後日談もあり。

港についたらキリンさんが待っててくれてて(そして私は靴を船に忘れてて、翌日港に取りに行くというハプニング有り。クロックスしか持ってないからこの靴がないとビーサンで真冬の日本に帰らなくちゃ行けない)、いったん家に帰って、そのままパトンのJ&Rに行く事にした。折しもその日はチャイニーズニューイヤーまっただ中で、朝、うちらが出かけてチョビが庭で留守番してる最中にお隣さんが激しく爆竹ならしてチョビがパニック起こして、すごいかわいそうだったんだけど、(玄関の扉あけると真っ先に中に入ってベッドルームに直行して出てこない)無理やり外に出して、パトンに向かいチケットを受け取る。

そして迷惑をかけたAll4にも挨拶して、(皆が抱きしめて慰めてくれた。それでまた泣いた)2月末に仕事約束してたショップさんにも謝りの電話とかして、翌日の朝、キリンさんが「やはり僕も行った方のがいいと思う。」と言いだし、私は最初は「チョビの面倒見てて」と言ってたんだけど、「フミコのパパは僕のパパだから、ちゃんとあって挨拶したい」と言う事になって、キリンさんにはキリンさんなりの礼儀があるんだろうなあと思い、キリンさんはその日からOWが始まったんだけど、クラスルームとプールで海洋実習はキャンセルしてお昼に帰って来た。飛行機は行きはすぐに取れたんだけど、帰りがやはり韓国→プケはなかなか取れなくて、2週間後の26日が一番最短で、キリンさんは二週間。私は取りあえず4月の上旬でチケットを取った。心配してくれたレックさんも翌日うちに来てくれて、本と、アリガとね。

姉達も忙しいから、メールを送っても一言しか帰ってこない。ただ、電話したときは「日本に着くのが12時半になる」と言ったら、「ちょうど良かった式は2時からだよ」と言われ、
取りあえず、キリンさんも行くという事、喪服はどうしよう。と言う事を後でメールで送ったら、返事は「喪主の挨拶あんたがやる事になったからね」と帰って来た。

「は?????????何も分かってないのに、どうやって!!」とこのメールで軽くパニック。

しかし困るのはキリンさんの喪服。絶対見つからないし、サイズがないでしょうと、その日の午後からセントラルに行って、取りあえず黒いパンツとシャツをZARAで購入。(どこの気候見てWinterなんだかウインターバーゲンで半額。でも合計3000Bくらい)後は黒い靴(30センチ)2700Bで見つけて何とかゲット。ジャケットは安くても5400Bもしたのでキリンさん「シャツで大丈夫!」と買わずに。その時の私たちは外気温36度のプーケットで、既に冬がどういう物かという事を軽く忘れていたような気もする。

チョビはドッグパークに預けて(それはそれでチョビさん嬉しそう。飼い主としてはフクザツ...)
そしてThaidaraさんに送ってもらい、日本へ。

乗り継ぎのインチョンは雪景色だった。

セントレアにつき、前回外国人入国審査がすごい並んだので、超早歩きで、ほぼ一番乗りで外国人入国審査を通り、12時20分着の飛行機で荷物も受け取り、表に出たのは12時35分だった。ここからは公共機関使ってたら間に合わないので、苦しいときのとびちゃん頼みで、すごいわがままなお願い聞いてくれたとびちゃんが迎えに来てくれてて、一路、斎場へ。見慣れた親族がいる中「お久しぶりです」と挨拶しながら控え室に行って、姉達が用意してくれてた喪服に着替え、キリンさんも、ちんちくりんだったけど、喪服が用意されてて、ジャケットだけ着た。

で、棺の中のお父さんと再会。12月10日に帰ったばかりだったのに。お父さんは本当に眠ってるみたいで「すごいキレイにお化粧してくれたんだね、生きてるみたい」と言ったら、母が「バカ言っちゃ行かんよ。男は化粧なんかせんよ。そのままだよ」と言ったので、すごい驚いた。
遺影は脳梗塞を起こすまえの元気だった頃の父の写真が使われてた。因に姉2人もあっという間だったので、誰も父の死に目に間に合いませんでした。

で、ここからは多少嫌らしい話になるんだけど、姉が「ごめんだけど、Alwinは一般席に座ってもらわんと行かん。おじさんがうるさいもんで。」うちらは結婚してないのでキリンさんは喪主側には座ったら行けないと言われ、「そんな作法も(私も)分からんのに。じゃあ私も一般席に座るわ」と言ったら「杉浦の名字はあんただけだから、それはいかん」と。

めーんーどーくーせーーーーーーー!!!!!!!!

まあ、父が倒れて10年、いい意味でも悪い意味でも私ら家族を一番心配してくれてたのが、この父方の親戚の叔父なので、うちらも逆らえないのだ。葬式も大分口出しがあったらしい。私が多分その場におったら「ウルセージジイ!!!」とキレていた事間違いない。

でも葬儀は滞りなくすすみ、元気な父の写真を見るたびに涙がこぼれ、思い出すのは父との思い出...。テレビのチャンネル争いでぶっ飛ばされた事、学生時代帰りが遅くなってひっぱたかれて外にたたき出された事、父の言う事を聞かないとけった押されて外にほっぽり出されて、泣きながら犬小屋の中で愛犬ドルと過ごした事...。いや、そんな事じゃなく、もっといい思い出を...。と考えていたら式が終わった。喪主の挨拶は長女がやってくれた。しかし、もう本当に涙がダーダーと止まらなかった。

感動したのは長女の長男。お父さんにとっては初孫で、彼が小さい頃はたいそうかわいがってた。なので、彼ももう25歳になるんだけれど、(来年結婚...。あううう)将太も本当におじいちゃんの事が好きだったので、おじいちゃん宛に手紙を書いて来てた。後は式の翌日、将太が子供の頃によく連れて行ってもらった渥美のハゼを釣った海岸と、よくおにぎりを買ってたお店とか写真を撮ってとどけてくれた。次女側の息子達も、みんな、孫が全員男の子なのに皆泣いてた。それだけ、頼れるおじいちゃんだったんだよね。お肉ちゃんが生まれた秋に(次女の次男)脳梗塞で倒れた父。なので、お肉ちゃんはもう赤ちゃんみたいな父しか知らないけど、それでも泣いてくれた。(悪さもしてたけど)

後日母が「全然気がまわらんかったけど、手紙、読んでもらえば良かった」と、悔やんでた。

で、改めて父の死因を聞いたら、「心不全」だった。
あの日、朝普通に起きて、普通にご飯を食べて、母と散歩に出かけてた。そして家に帰り、ベットに戻ったら「やあ、うんこがでた」と父が言ったそうだ。「朝も出たのにまた出たの?」と言いながらおむつを見たら、出てて、(多分、体が緩んで来てたのかなあ?)おむつを替えてしばらくしたら、「悪い、また出た」と言われ、こりゃシーツから替えんと行かんわと、父をもう一度車いすに移して、シーツを変え、ふと父を見たら、カクんとなってたそうだ。で、顔がもう今までと全く違った風に見えた母は「これはあかん!」と思いながら救急車に電話。「息はありますか?」と聞かれた母は「あります」と。(多分もう呼吸は止まってたと思うけど、あったように見えた)CPRをするように言われたけど、どうやっていいのか分からず、車いすから父を倒し、ずるずる引っ張って、CPRをしたところで救急車がきて、亡くなったのは病院で。と言う診断が出たけど、多分父は家で亡くなったんだと思う。

泣きながら、「お父さんの最後の言葉が、うんこでちゃったなんて...。どこまでもキレイ好きだったから、キレイにして逝きたかったのかねえ...。」ともう泣き笑いだ。

火葬場は親族のみがついて行き、父が焼かれてる間に私はキリンさんと、愛犬リキのお墓参りに。10年前に父が脳梗塞で倒れたときに、まるで身代わりになるように死んでしまったシベリアンハスキーのリキちゃん(♀)の共同慰霊碑がこの火葬場のそばにあるので、寒いのを通り越して痛い風の中を「ようやくお父さん、リキのとこに行ったからね。」と伝えて来た。しかし本当に、あと1か月待っててくれたら、もう少し温かかったのに。ついでにキリンさんに桜も見せれたのにねえ。お父さん。

そして、本当なら式も午前中にやるところだったんだけど、前日が友引で、火葬場の予約が4時じゃないと取れなくて、だから式が2時になったと聞いた。別に私を待っててくれてる訳でもなかったんだけど、お父さんがそうしてくれたのかなあ?と思わずにはいられない。

初七日法要もそのまま斎場で行い、来てくれた親戚にお礼をいい、さあ、うちらも家に帰るか。と帰ろうとして気がつく。お父さん置いたままだよ!!!斎場の方も「お父さんが主役なんで置いて行かないように」と。いやでもしかし、忘れてく家族も多いだろうなあ。もう短期間で頭がいっぱいいっぱいでお骨と位牌と写真、会場に残したまま帰っちゃう家族。危うくうちらもそうなるところだった。

帰りの車の中で、姉が「日曜日も大変だったんだよ。お父さん家に連れて帰るのに、お母さんが家の鍵をどっかにしまっちゃって、たまたま締め忘れてた窓から入って鍵開けただよ〜。あやうくおとうさん、窓から帰らにゃいかんとこだったんだよ〜。」と言いながら家についたら母が「鍵がない....!」またかよ!!!!

で、喪服着たまま裏の狭い窓から入ろうとする母を止めて(次女の旦那が入ってくれた)母が持ってた父のお骨は玄関の表に置いたままになってて「ああ!お父さんこんな冷たいとこにほかられて!!」と、姉に抱き起こされて、最後の最後まで、お父さんごめんね。ちゃんとしてあげれんくて。と泣き笑いだった。鍵は結局冷静にゆっくり探したら、バックから出てきました。

そしてその夜、取りあえず私の昔使ってた部屋に布団を敷き、部屋に入ったらキリンさんが一言。
「なんで窓が開いてるの?」

閉まってますよ。ただ隙間だらけで風がぴゅーぴゅー吹き抜けてるだけです...。

親は子供よりも先に逝ってしまうモノ。そう分かっていたけど、私の年齢よりももっと早くに親を亡くしているお友達もいるけど、こんなに悲しいものなのね。
小さいときは父の暴力がダイッキライで、思春期は皆もそうだとおもうけど、父とどこかに行く事を毛嫌いして、イヤな娘だったりもしたけど、たった一人のお父さん。

動物園に連れて行ってくれたこと。海が大好きだった父は、私たち子供を連れてしょっちゅう海に来てた記憶もある。気が短くて、すぐにけんか腰になってたけど、涙もろくて、2人の姉の結婚式はおいおい泣いてた父。病に倒れてからは、もっともっと涙もろくなって、私が帰ってくる度に泣いてくれた。外国人の彼氏を持ったのがちょっと自慢したかったらしくて、自分もしゃべれないくせに「あれは英語でなんて言うんだ??」としょっちゅう帰国する私に聞いて来た。最後にキリンさんに聞いてたのは「薬を英語でなんて言うんだ?」Alwinが余りにも発音よく「Medicine」と答えても聞き取れず、その数分後に「薬は英語でなんて言うんだ?」と聞いてた父。大好きだよ、お父さん。今までもこれからもずっと、大好きだよ。

そして10年という長い年月をただ父の為に介護していた母。今は母が心配だ。これで私が帰ったら本当にひとりぼっちになってしまう。

キリンさんが母に「このたびは御愁傷様です。パパがいなくなって寂しいですが、僕も息子なので、手伝える事があったら、何でもします。2週間、大人しくしてます。」と、私が母に伝えたら、「ンじゃ息子よ。家建てて。」と。

キリンさん。父が叶えれなかった夢、君に期待がかかってるぞ!がんばってくれ!笑
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by papaya_mango | 2013-02-18 13:30 | 脳梗塞 /介護

終わりの無い介護生活

実は昨日も市民病院へ飛んで行った。そこで、「悪いけど、悪いなりに問題ない」と言われ、ようやく安心??じゃないけど、それでも安心半分でプーケットに帰れる。

29日に退院し、その日の夜に夜間緊急外来で病院へ飛んで行き、一晩。その週の日曜日の早朝にこれまた緊急外来。んで昨日は予約外受診で。

今の問題は、水分を取らない為におしっこがでない。そして何故か、膀胱路から、おしっこが漏れだし、おなかがびっしょりに。
退院後、ますますろれつが回らなくなった為に、頭もCT取ってもらって、新しい脳梗塞は見つからないし、肺も退院後よりも奇麗になっているので、入院前の状態に戻っているはずなんだが、ボケがすごい進行してしまったのか、食べ物、飲み物をわざと吐き出す行為が目だつ。
一度なんかは「お茶くれ」と言うからペットボトルを渡し、飲ませたら、水鉄砲の様に口から、ぴゅーっと吐き出しやがったので、そんときは私もさすがにキレてぱちこーんと父の顔をぶった。
「なんでそんなことやるの!!!」
と怒る私に「遊び心だ」と言う父。
もう何と言うのか、やることが3歳児並みなので、怒っては行けないとは思うが、私も気が短いんで手が出る。

木曜日から、身体はもういいのだからとムリくりディサービスに預けるんだが、そこでも「全て吐き出します」と言われてしまうし、何よりも1か月の入院で約10キロも体重が落ちてるので、食べてもらわないと行けないんだが、おなかがすかないのか、食べるということを忘れてしまったのか、全然食べないのだ。

今日もディに出したんだけど、どんだけ迷惑をかけているのか。

うちの始末が悪いところは30%くらいはまともな部分があるので、まともなことを言うこともあるけど、70%はおかしいので、例えば夕べも夜中ずーーーーっと叫んでる。母が返事をするまでずーーーーっと「お母さん、お母さん」といい続け、「何?」と返事しても「おしっこでとるか?」聞いて、「ちゃんとでてるよ」と答えても、その5分後には同じことを聞く。昨日はさすがに母もキレてるので、意地でも返事せんかったら、1時間、ノンストップで「おい、お母さん」と言い続けたよ。そんだけしゃべる続けりゃ喉も乾くと思うが、お茶を飲ませると、ぴゅっと吐き出す。
これは喉の筋肉が弱まってて、嚥下能力が無くなったのかもとリハビリの先生に見てもらっても、「特に問題は見当たらない」と言われ、これは多分何かのキッカケで、吐き出すことをマイブームにしてしまったんだろうなあ。わざと、つばなどをしたに落とした後、必ずちらっと人の顔を見る。悪いことをわざとやってるから人の顔を見るんであって、本とやることは乳幼児。

これで私が帰ると、また再び母と父だけの生活になる。母がどれだけ耐えられるのか、それだけが心配だ。
今度父に何かあっても、絶対に救急車よんで!自分で車で連れて行こうとなんかしないで!
親戚からは「いっそのこと精神病院へ入れてしまったらどうだ?」とも言われたんだけど、10年もやってて、今更見放すのも。という気持ちもある。

過去のブログを見てみると、父は「ヤバい」感じになるのは約2年ごとにやってくる。
4-5年前も長期入院し、私は当日勤めていた日本人ショップを無理やり辞めて、日本に帰国、3か月手伝った。

2年前は既にフリーランスだったので、その時は時に何のしこりもなくすぐに帰国、やはり3か月手伝う。

そして今回。今回も結局3か月。しかし前半は問題なかったので、本と、キリンさんはかわいそうなことをした。
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入院騒ぎの前。仲良くお散歩。

今回乗り切れてしまったので、次はまた2年後か?などと笑って言うけど、どうだろう。80歳だし。

私の本当のお父さんは10年前のあの脳梗塞の朝に死んじゃったんだよなあ。とも思うし、今って救急車を呼ぶと、もれなく消防車もついてくるということを知って、あの10年前に、もし同じシステムだったら、お父さんを運び出すのがもう少し早くて、もう少しいい状態だったのかもしれないなあと。過去を思ったところでどうしようもないんだけどね、考えてしまう。(父は体がでかすぎて、そして家が小さいので、発見して運び出すまでに時間がかかったのが、重篤だった原因の1つ)

介護生活11年目。
心配はつきないけど、月曜日にいったんプーケットに帰ります。
それもその日、北の弾道ミサイル打ち上げ予定日初日。それも向かうはインチョン...。
何事もありませんように。そしてこんな中途半端な時期に戻っても仕事にありつけますように。

ケロさんから送られて来た一枚。
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もうツボにはまって親ばか全快。「かわいい」
それも他のワンコも同じように遊ばれてるのに、どのこも非常に迷惑そうな顔してる中、うちの子だけ非常に嬉しそう...。笑

では次は多分トランジット中のインチョンからになると思います。ではでは。
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by papaya_mango | 2012-12-08 11:13 | 脳梗塞 /介護

本当に男って...。と思うこと。

昨日。長いこと入ってた静脈点滴も取れ、主治医が、「もういつ退院してもいいです。」と言ってくれた。が、まだ本当に入院する前までの食欲がないので、もう少しちゃんと食べれるようになったら、と言うことで退院見込みは来週の中盤くらいかなと。

日本があまりにも寒いので先週から風邪気味なんだが、微熱がずーーーーっとひかない。というか、ほんとに久しぶりに風邪を引いたなあ。私。
着る服(冬服)などないので、来ているのはババシャツを含む上からしたまで全部姉のを借りている。(さすがにパンツはユニクロ特売2枚で790円を購入済み)姉は私と違いすごい細いんだが、全てをぶかぶかに着ている為に、私にぴちぴちとなりちょうど?いい。ブーツも靴下2枚で履く為、私の靴下一枚でちょうど良い。

で、父も(もう何回目の)長期入院して1か月。父の部屋(4人部屋)のあるベットは既に3、4人のおじいちゃんが、朝来たらもう別室に行っててそのまま...。というひょっとしたらなんか変なジンクスがあるのか?このベッド。と言うくらい(ある意味)回転が速い。

そしてどの部屋も、うちの父並みのボケ具合のおじいちゃんがいっぱいいるんだが、4日前からやって来た父の隣のベッドに来た93歳のおじいちゃんはこれまたすごい。うちの父並みのがたいのでかさで、それももの凄い声で叫ぶんで、それがまた半端ない。看護士さんが、優しく「大きい声だすと皆が驚いちゃうからねー。」と言いながら身体ふきとかしようもんなら「バカヤロー触るなー」とおお暴れするんだが、この看護士とのやり取りが聞いてても涙がでるくらい笑えてくるのだ。
そしてどのおじいさんも(うちの父も含めて)共通して叫ぶのが「お母さーーーーーーん!!お母さんをお願いしますーーー!!!」とこぞって、奥さんの名を呼んでいる。

しかし、「おとうさーーーん。」と旦那を呼ぶおばあさんは全く見かけない。どんなにぼけたおばあさんでも大声で叫ぶおばあさんでさえ、「おとうさーーーん!!」と呼ぶ声は聞かない。
ほんとに、この世代のおじいさんというか、男って、本当に正気だった頃から全てのことを嫁にやらせていたので、ぼけてなお、嫁に頼ることしか出来ないんだろうなあと。

そして、前々からすぐにナースコールを呼びまくる父に困った私たち。ヒマさえあればナースコールを押して、(目を離すとすぐに)看護士さんが「なんですかー?」と言うと「何でもないですーーー」と言う繰り返し。夜、「また明日来るね」と言い、部屋をでると同時に響く「ピンポーーーン」。試行錯誤で探し見つけたのがこれ。
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幼児向けの絵本についてるブザー?
本来の使い方は絵本の要所要所で、この黄色いボタンを押すとサンタさんの「ホッホー」と言う声と2種類のベルの音が聞こえて、ナースコールのピンポーンと似てないこともない。
それをひっぺがして、父に与えてみた。さすがに騙されんかと思ったら、ちゃんと押して、「お願いします。」と言ってる父を見て、おかしくも悲しい光景だなあと。でも、以外と好評で、そしてこの話がよそでもまわったらしく、よその部屋の看護士さんが「見せてください」とこのおもちゃを見に来たよ。笑

絵本1530円で、なんにもならんかなーと思ったけど、役に立った。良かった。

でもああしかし、ようやく今回もメドがついて来たなあと安心。
安心なんだが、(私の)体重が....。

今回は私もそれだけ年を取ったのか、(風邪もひいたし)ちょっとしたことで私自身も何度も病院へ行った。胃カメラは毎年なんだが、婦人科に行ったときに体重計に乗ったら、言うのも恐ろしい数値を記録してて、「やはり日本は太る」と痛感させられた。その後、右耳が急に話していると、スピーカーから漏れた音みたいに自分の声がびりびり響いて、ダイビングもあるし、一度見てもらおうと思い、見てもらったら、ストレスとかから来る「耳管開放症」と言う病気と言われた。これって自然に治るんだろうか。でも鼓膜は何ともないらしいし、まあダイビングにも影響はないらしいので安心したんだけど。

だけど、来月帰る際にせめて2、3キロは痩せないと、つーか、来る前の体重に戻さないとヤバいわ。と言うことで一番上の姉から借りたDVDで始めた「ロングブレスダイエット」爆。
効果はあるのかと聞いても、これを毎日実践している長女を見る限りないんだなあと思いながらも、始めて3日目。既に今日はまだやってない...。ははは。

前回チョビをスケッチしたので今回はキリンさんをスケッチ。
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ハンサムになりすぎたわ。

ああ、早くチョビに会いたい。
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by papaya_mango | 2012-11-23 11:52 | 脳梗塞 /介護

X-Dayはいったいいつなんだ

ドレインが通って、みるみる父の顔色が変わって来た。溜まっていた胸水も最初は100ml以上でてたのが、45、30、15と少なくなって来てて、素人考えで20日前後に退院してくれたら、家でのリハビリを入れて28日にはプーケットに予定通り帰れるかなー。と考えてたんだけど、一向に主治医からの話がない。

なので昨日担当の看護士さんに、「実はこっちの勝手な都合なんですが、飛行機の都合があるので、どのくらいに退院が出来るのか聞きたい。」
と頼んだら、以外とあっさりお話が。

話ではこのままで行けば「後2週間で退院出来ますよ。」と言われ、ようやく安心...、安心だけど、そうすると再来週の水曜日ってこと??ってことは28日じゃん。

28日に変更して飛行機を取ってるので、これだと退院を見届けれるかどうかという感じだ。それに今までの経験上、退院後に絶対にもう一回病院に飛んで行ってるし、ずっと寝たきりになったんで、車いすからベットの移動とか、細かい立ち座りを忘れてるから、思い出すまでリハビリもしないと行けない。ので、全く余裕がないなあと思い、昨日午後3時に来た母と交代して、大韓航空へ電話。聞いたら、12月3日と10日なら席があるそう。10日はなあ...。そこまでじゃなくていいかなあと3日に変更。そして夕方また再び母を迎えに病院へ行ったら、私と交代してしばらくしたら、急に父がおかしくなって、血圧がいきなり190まで上がって(朝私がついてた時は140)熱も9度3分の高熱がいきなり出たらしい。で、解熱剤を飲ませてなんだかんだで今になると言われ、「そんなん3日に帰国も怪しいわ私!」と思い、今日朝一番でもう一度電話して10日に変更してもらった。

なんにしろ私のチケットは12月18日がリミットなんで、これ以上はのばせないのよ。

まあ、この変更が最後と思いたいが、ほんとに父はちゃんと退院が出来るんだろうか。
それにその様態急変は一体なんなんだ。今年の5月に腹水がたまって入院もしてるが、今胸水ばかりに夢中になってて実は腹水もたまってないだろうかといろんな心配がでてくる。

(過去にやはり父の長期入院で帰国したときに、入院当初は大腸関係で入院してたのに、様態がどうにもおかしくて、もう一度病院へ行って改めてCT撮ったら、胆石で、もう一度入院したことがあった。科ごとに別れてしまっているので、内科で入院してた時は消化器は全く見てくれてなくて、治りが遅かったことがあって、今回も胸ばかり見てて、おなかは見てくれてないのかしら。

胸は朝から母が見てるから私は西尾の姉の家でネット中。
しかし寒いyoニッポン!!!!!
風邪ひいたよごほごほ。

ああ、またチョビさんが遠い。
キリンさんも仕事の日はチョビをケロさんとこに預けてるので、(それでも極力お金をセーブしようとラチャヤイ2ダイブとかの日は朝6時半と帰って来てから夕方5時くらいにレムカに散歩に行ってるそうだ。)チョビの様子はFaceBookで覗けれる。

そのうちの超親ばかラブリーな写真達。
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お友達のダム子ちゃんと。いちゃいちゃ。

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すごく嬉しそう。
君はケロさんとこのが幸せなのか...。

で、昨日部屋掃除してたらスケッチブックを見つけたので、「昔は絵を描くことを仕事にしてたこともあったなあ」と言うことを思い出し、久々に描いてみる。
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すごい自分の思うように描けない。やはり、こういうのも毎日描かないと、腕は鈍るんだよなあ。

なので後ろは超ラフに終わったキリンさん。いやあ本人怒りましたが。自分でも似てると思う。ははは。

でもまだ日本滞在がもう1か月程延びたのだー。悲しいよう。

ぶっちゃけ、ダイビングはどうでもいい感じなんだが、(しばらく潜らないと、潜りたい!!窒素が欲しい!!!という程好きじゃないんだなあやっぱり私。爆 ここ数年間のめちゃくちゃな潜りすぎで本当に熱が冷めたのか。)仕事はしたいよう。つーか、しないとお金ないし。私今これしか手に職ないし。

日本滞在、今回も約3か月出費のみで私の貯金も悲しい感じになってるし。タイバーツは日本円に崩す気は全くないので、来年こそは働くことを考えて帰国しよう。...と言っても短期でちゃんとお金が貯まる職種は所詮岡崎じゃあないのよね。名古屋まで行きゃああるかもしれんが。
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by papaya_mango | 2012-11-15 13:41 | 脳梗塞 /介護

今日帰国のはずだったのに。

今さっき空港から帰宅。姉の家へ。

おかしい、私も一緒に帰る予定だったのに。

というのも、先週の火曜日。もう最後の1週間なので、どこか最後のドライブに行こうと水曜日に上高地に行く予定を立ててたの。火曜日の夜は久々にJANAIにも行こうと計画もしてた。

でも数日前から、父が「胸が痛い胸が痛い」言ってて、でもそれもいつものわがままだと思って、ほかってた。その前の土曜日も、一度かかりつけの医者に連れて行って、先生に見せても、先生は聴診器もあてずに「肋間神経痛です」で終わり。でもそれから毎晩夜母を寝かせてくれなかったんで、火曜日にもう一度病院に連れて行ったら、今度は聴診器で見て、胸に水がたまってると診断されて、そのまま入院。ありゃりゃーーーー。最初はでも母も1週間くらいの入院だと思うからいいよ、帰っても。と言ってたんだけど、その後、市民病院へ転院、そこで一か月くらいと言われ、そんなにかかるならのこってほしいと言われたので、もうひと月のばした。

いやあ、もううちの父、ぼけてるのもあるんだけど、本当にブラックリストに載るくらいな問題児だ。かかりつけ病院の入院も1分ごとにナースコールしまくり、来ないと、大声を出して迷惑をかけるのよ。それでそこの病院が遠回しにうちでは面倒見れんと。そして市民病院行き。とにかく母がついてないとひいひい大騒ぎをするので、目が離せない。で、母が疲れてしまうと言うのがいつものパターン。まあ、これから一日おきにつき添えれば、母の負担が減るので。(当然、父は私でも母がいいと騒ぐけど、身内なので、私がどんだけ父を怒ろうが、問題ない。)

なので、最後の一週間、結局キリンさんも一緒に病院通いで、上高地も行けなかった。
でもせめて近場で茶臼山はいって来た。

紅葉も今年は10年に一度の当たり年らしい。
乗鞍とかの方がキレイだろうけど、でも十分奇麗だった。
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茶臼山なんて中学校の山の学習以来だ。

で、結局別々に帰るので、キリンさんにはしっかりと20キロ分先にブツをプーケットに運んでもらう。リュックの中には買った土鍋。えへへへ。これでいつでも鍋が出来る。
スーツケースはもう10年使ってなかった20年前に買ったヤツだけど、途中でぶっ壊れないか心配だ。因に今日車に積んだ瞬間に下のコロコロが一個取れた。汗

で、今日空港へ行って来たんだが、これまた飛んだハプニングだぜお嬢さんみたいなことが起こり、ロマンチックにお別れどころの騒ぎじゃあなくなった。

今日は予定では15時40分のフライトだから、ちょっと早めの1時くらいに到着目安に家をでる。(2時間以上の余裕を持って)セントレアの空港で、最後のランチ、梅の湯で有名なまるはのえびふりゃあを食べる予定で、朝食はトーストのみ。多分1時にはチェックイン出来るからそこからランチをして、ゆっくりしようと思ってチェックインしたら、出されたボーディングパスに13:40と書かれてるから私が「あれ?飛行機何時ですか?私15時40分だと思ってましたが。」と聞いたら、「昨日から冬時間で変更になりました。」と言われ、更に「連絡ありませんでしたか?」と言われ「ありません!!!」でも前もって分かってるなら、プーケットでチケット発券された際に時間15時40になってないのかなあ???とにかくもうゲートオープンまで15分しかなくって、もう慌てて彼は消えて行きました。その後私も1人でランチする気はなくて、そのまま帰路につき、セントレアから高速に乗って半田で降り、信号待ちしてたときにふと外を見たら。水色の機体の飛行機がまさに空へ消えて行ったので(時間は1時43分だった。)多分キリンさんあれに乗ってるだろうなあと思いながら見送った。ところで1人で帰るはめになったキリンさんだけど、結局当初はインチョンでトランジット50分のところ3時間になってしまったのだ。お金も持ってないから(1000円渡したけど、男のプライドでいらないと。でも1000Bはもらって行ったよ。あの人。)おなかすいてないかなあ。

ああ。私は私で早くチョビにあいたいよう。

しかしこれで気兼ねなく、日本のお友達にも会えるし本屋にも行けるなあ???

私はちなみに今のところ11月28日に帰国します。何事も無ければ。

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by papaya_mango | 2012-10-29 15:41 | 脳梗塞 /介護

滞在延ばそうかなー。

そして、昨日の深夜も病院に走り、終わったのが3時半だったから、そのまま病院に泊めてもらって朝一番の外来で診察。

結果、やはり問題無し。うーん。こうなってくると、本当にどこまでが本当に痛いのかがわからん。
多分痛いんだろうけど、昼中は何かと気がまぎれるけど、夜になると何もやることが無いので、意識が「痛い痛い」に行くんじゃないかしら。

しかし今日はすこぶる調子がいい。食欲も戻ったし、至極まともなことを(まともじゃないなりに)言うようになって、入院前(要は8月中旬頃の)のお父さんに戻って来た。
なので母も、「まあ、26日に帰っていいよ。このままだったら。」と言うんだけど、すでに気持ちの中で何となく滞在延ばそうかなー。と思ってたんで、急に「あれ??もう後10日??」だと焦るのよね。

結局本当に誰とも会ってないし。

自分が遊びで帰って来てるのなら、それこそ積極的に友人達にコンタクトとって会いたいと思うんだけど、今回は全然気持ちが乗らなくて、本当に出かけると言えばここ、イオン岡崎のfree wifiエリアか、ウイングタウンの本屋くらいだ。

でも26日に帰ればぎりハイシーズン前で仕事がとれるかなあと思うと、今のうちに返った方のがいいのかしら。
まあぎりぎりまで考えよう。

そして、いったい何がおこったんですか???W/C??????
Kaonoiさんと、Ayakoさんから聞いて、さっきニュースよんだんだけど、1,000万バーツの保険も先週切れてたらしくて、いったい何が原因なのか、ニュースちらっとしかよんでないからわからんわ。つーか、私のお給料、どこへいっちゃうんでしょうか...。
シミラン直前にして大変なことが起こったわー。

今、日本に滞在しての悩みは、プーケットで怠っていたお肌のお手入れがてきめんに出て、すごい自分の顔が老けていたことにガクゼン。法令線が特にすごくて、昔から肌には自信があっただけに、「もう、本当に年を取ったんだなあ」と実感。42だもんなあ。

そしてこの42と言う年齢もすごく焦りを感じる。やっぱり子供欲しいもん。
しかし、思えば思う程出来ないものなのね。これで私が日本にいるからまたもやチャンスを無くしてるし。これでハイシーズン始まって、クルーズに行っちゃったらますますチャンス無くなるし。
今年のローシーズンが最大のチャンスだったのになあ。
日本にいればそれなりに不妊症検査とかやるんだけど。あと、母からすごく言われるのは、「今はいいかもしれんけど、これで年をとって、もし私が脳梗塞とかになったら誰があんたの面倒を見るの?」と言うことだ。父のこともあるのでリアルに不安だ。

そして関係ないけど、チリの鉱山落盤事故の救出をリアルタイムに診れて良かったわー。
涙でちゃったよ。まじに。
本当に年をとると涙もろくもなるので、このニュース診るたびにおいおい泣いていた私だ。

後は帰る前に髪の毛どうしようかなあ。今長いままなんですが。はねるのだ。激しく。
まあ、26日に帰るにしてもまだ10日あるので、そろそろ、帰るものは買ってそろえておこう。

今回持って行こうと買ったもの。
100金で レンジで作れる目玉焼き、レンジで作れるスパゲティー、洗濯竿に間隔を置いてセット出来る物干キーパー(かなあ??)薄いまな板。(これらはすべてキッチンシンクが無いので大きなフライパンとかなべを洗いたくない為に買ったもの)
ファブリーズ。
キリンさんにユニクロのパンツ。(今あるのどれもゴムが伸びてちょうちんブルマーみたいのばかりなんだもん)

今回再び25日からpuket入りするオタ君に多少荷物を頼んだので、だいぶ助かります。
ありがとう!!オタ君!!

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by papaya_mango | 2010-10-15 15:22 | 脳梗塞 /介護

まだわからん。

前回のブログを姉のうちでやって、家に帰って一服したら、父の様子がおかしくなって、
再び夜間緊急だ。

まあ、私は男じゃないので、睾丸がどう痛いのかはわかんないけど、とにかく激しく痛がって、おまけに、ろれつが回らなくなって、顔つきもみるみるヤバくなったんで、あわてて飛んで行った。
しかし深夜の緊急外来、診るにしても診察なしで、私たちの話を聞いただけで、「このまま痛み止めの薬を飲ませて下さい」で終わってしまった。
私たちはろれつがおかしくなったことも言ったんだけど、「それはまあ別に...」で終わってしまい、翌日、朝ご飯食べて、薬を飲ませて1時間後。

再び父がおかしくなる。ろれつが回らず、自分が何してるのかわからない状態。
車いすに座らせても「車いすに座りたい」←がんばってこう聞き取る。をずーっと繰り返す。

素人考えで、原因として、薬の飲み合わせ、そして怖いのが脳梗塞。別のとこが発症したかも。
で再び飛んでって、でもしかし、今度の先生は昼のせいもあるかもしれないけど、しっかりと家族の話を聞いてくれて、「可能性としては無いとは言えないので頭のCTとりましょう。」と調べてくれた。

ろれつが回らなくなって、意識がもうろうとしてしまうことに関しては「薬のせいではないと思うが、栄養不足で電解質が足りないのかもしれない」と言うことだった。
CTも結果、8年前のとこから新しく発症してるとこは無くて、先ずは一安心なんだけど、素人考えで、泌尿器科ででた、抗生剤が今のお父さんの体には強すぎておかしくなるんじゃあ。と思って、薬をやめたら、おかしくならなかった。

とにかくすごい数の薬を処方されてるので、いくら一つの総合病院から処方されてるとはいえ、やはり飲み合わせとかあるんじゃないかなあ。

で、電解質が不足ならとポカリを飲ませるも、やはり昭和一桁はこの味を喜ばなくて飲まないのよ。
で、「糖が足りんとろれつが回らなくなることがある」とか、姉が調べて来て、ブドウ糖を持って来て、それをおちゃに甘くない程度に混ぜて飲ませてる。

今んとこはいい。

後はもう少し食べてくれて、体力つけて(約2月の入院で10キロ減ってた。)お母さんが1人でいつも通り、世話が出来るようにならないと、私は帰れない。

26日まで後2週間。
帰れるかなー。

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by papaya_mango | 2010-10-12 15:06 | 脳梗塞 /介護

残り2週間。

先週の水曜日に父は退院出来ました。
私がきてから二度目の退院。「3度目はやめてよねー。」なんて言ってたら、その日の夜に、今度は別の場所(泌尿器関係)がいたいいたいと大騒ぎ。

入院中も、ここが痛いと言ってはいたんだけど、総合病院のくせに、「保険の関係で、消化器で見てるので、泌尿器は見れない」と言われ、(意味が本当に分からん。じゃあ合併症の患者とかどうなるの?)結局入院中に泌尿器は見てくれなくて、退院して翌日早朝にまた病院に走る。

今は抗生物質と痛み止めを飲んで、だいぶ収まっているけど、今度は泌尿器で入院なのかしら...。かなりうんざりだ。こんなこと言っちゃあ行けないけど。
しかし、ある意味家の父の生命力には脱帽だ。今回で、いったい何度目の「こんどこそ...。」だったんだろう。すごいなあ。あ母さんは大変だけど。

でもしみじみ、母に「あんたが早めに帰って来てくれたおかげで、本当に助かった。」といわれた。

で、残すととあと約2週間。ようやく私も自由な休暇が過ごせるか??

日本に帰って来てから、本能の赴くままに間食をしている私だが、(コンビニスイーツ、うまいわー。)この前、ふと体重計に乗ったら痩せてました。びっくり。
食事が禅料理のようだからなのか??(肉は殆どなく、だいたい野菜の煮物で終わる。母の味。)
それとも毎朝舞茸を食べているからなのかもしれん。
私の甥っ子が毎日舞茸食べてたらえらい体重が減ったらしい。おそるべき舞茸パワーだ。

そういや、私今回日本でWETスーツ買ってしまいました。
既製品だけど、スーパーストレッチ。めちゃ着やすい。
税込みで19800円なんだけど、これは何年持つんだろう。でも、肩の部分が薄いグレーなので、私が着ると何か上半身が膨張して(いや膨張してんのか本当に)見える。

思えば最初も15000円くらいのWetを日本から持って来て、それをおおよそ2年着た。
その後、Hot waveでオーダーで8800B(約26000円)で作るも、半年でファスナーが壊れ、1年で破れ、その都度1カ所500Bで治して使ってたけど(すでに1500B、3カ所治してる)

せめて1年半は持ってほしいなあ。



そして乳がん検査結果。
やはり腫瘤でした。んで、先生に「どこですか??」と聞いても「触っても絶対にわからないと思います!」と言われるくらいわかりにくいものでした。

でもこれから、マンモとっても陰は絶対出るので私はマンモとエコーをやって行った方がいいと思う。と言われ、(胃がん検診もバリュームだと引っかかるので初めから胃カメラ)これを毎年やってくのかあ。とちと面倒くさいけど、やって行こうと思う。

で、私の担当してくれた先生。彼もダイバーで、今月モルディブにいくと喜んでいた。ついでにPHUKETも興味があると言うので「是非遊びに来て下さい!!」と布教活動だ。

しかし、なんとか26日に帰れそうな兆しが見えて来たが、油断は出来ん。
しかしそろそろ、買って帰るものをそろえて行かないと行けないわあ。
今回一人なので荷物が...。苦しい。

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by papaya_mango | 2010-10-09 11:01 | 脳梗塞 /介護

退院→救急車→再入院

日本帰国も早1週間。その間私の行動範囲は自宅、地元のスーパー、ドラッグストアー、そして市民病院。の4カ所だけですわ。

金曜日に無事に退院出来た父ですが、元気なんだけど、全然食べれないし、飲み物も飲まない。この暑い残暑の日本で、せめて飲み物だけでも飲んでくれと、強制的に飲ませるんだけど、どうも様子が良くない。しかし、若い時は身長180センチで体重も80キロ以上はあった、格闘家体系の父は、痩せた!!と言ってもやはりまだでかい。

排尿の方はこの春に膀胱路を(漢字これでいいのか?)開けたようで、もうトイレの心配は無くなったんだけど、それでもでる量が異常に少ない。このままじゃあ脱水症状起こしちゃうから、といってアクエリアスを飲まして、食事も、ウイダーインみたいなゼリー状のエネルギー食品にしよう。退院したばかりだから、まだ普通の生活リズムが掴めないんだよ。
といって、土曜日の夜。がんばって食べたものをすべて吐いてしまって、もうお手上げ。動けないんでもうこりゃ救急車呼びましょうと、退院して来たばかりの荷物をもう一度用意して救急車で救命救急へ。そんで再入院。

救急車で来てくれた救命救急師の皆様は本当に冷静で、かっこ良かったです。しかし、父の病歴などを話す際に、家の母だけではないと思うが、どうして年寄りは、話している相手がすべて知っていることを前提に話しだすんだろうか。
「あれが、こうなったもんで」と説明した所で、相手はわからんのですよ。
で、私が代わりに知ってことだけをかいつまんで話す。
「8年前の9月30日に脳梗塞、で、市民病院入院、左半身麻痺」
「3年前の11月に盲腸がんで入院、4ヶ月入院」
「昨日、腸閉塞の疑いで入院してたが、退院。」
「全介護で、左側は特に触る所が悪いと痛がる。」
「意識はしっかりしている。ぼけもあるけれども、口調はしっかりしている」
こういう年寄りから話を聞くのは大変だろうなあ。と説明しながら思った。

でCTとってみたら、胆嚢腫の疑い。昨日まで入院してた時は腸閉塞の疑いで、担当主治医は外科。で、前回の入院中は腸閉塞は何ともないけど、胆嚢腫の疑いはあると言われてたのよ。でもね、科が違うせいもあって、そんときに(疑いがあると言った段階で)CTとってくれてたら、ちゃんと胆石も見つかったと思うのに、とにかく外科、内科の範囲では何もないからといわれて退院したのよ。

でもCTの写真には胆管にも石が詰まってしまってて、それがすべての食べ物を通さなかった理由だと、今回の主治医の消化器科の先生に言われたのだ。退院して1日で石が出来るなんてことないんで、前回の入院中に、「疑いがある」と言った段階でなんでちゃんと見てくれなかったのか??と、憤りは隠せないよ。科が違うから見てないなんて理由になるのか??

なので、今回の再入院は病名は「胆嚢腫」と「胆管結石」科は消化器科。今週金曜日に手術です。

しかしなあ。前回の不調もここから来てると思うんだが、無駄に20日間も入院して、一晩8800円も部屋代出して、何も無しで退院で、再入院。

何と言えばいいのかなあ??容量悪すぎというか、こんなにも横のつながりがないもんかと。

これでまた再入院なので、また退院までの道のりは長い。そんでリハビリも。
11月までにそっちに帰れるかなあ。

で、肝心の父だが、再入院した日は1日もうろうとして、返事もしないし、反応もうつろで、私は見てないけれども、焦げ茶色の嘔吐物を二回も吐いた。母も昔の人間なので、よく人や動物なんかが今際の際に「かにばば」というものを吐くというのを見てるんで「今度こそはだめかもしれん」と喪主はお前がやれとかいやだよ、なんで私が!とか、喪服がない!!昔の喪服はもう着れん。10キロ太っとるから。とか、Alwin呼ばないかんかなあ。つーか、Alwinが着れる喪服がこの日本にあるのか???とか縁起でもないが、そういう話をしてた。で、昨日私が1日付き添うにいったら、あらら。お父さん、しっかり目を開いて憎まれ口をたたき始めた。いつも通りに戻ってる。(まあ、この憎まれ口が腹立つんだな。で、いつも喧嘩になるんだけど、今んとこ私はまだ優しい。)

なので、今回も大丈夫そうな気がする。
おとといの状況だと、こちらもあきらめみたいなものがでるけど、昨日、今日は至極まともだ。
後は手術次第かなあ。
お父さんに何かあるとすれば、多分手術中に何かが起こると、常々思う私たちだ。
(大動脈破裂とか、心筋梗塞が怒るとか。手術中に。そんだけそこら中が悪い人だから)

手術と言っても、胃カメラで胆管にレーザーで管道を広げて石を落とすというものだ。
で、胆嚢腫の方は、外科的手術は誰もやりたくないらしく、(何が起こるか分からないので)胆のうに針を刺して、ウミだけ出すと言うことをやるらしい。

そういや、胃カメラと言えばワタクシも今日やりました。
胃カメラ IN JAPAN。
前回の胃カメラ IN THAILAND

料金は3700円。保険適用で。保険なくても12,340円とあの22000Bに比べりゃ、全然安かった。しかしやはり苦しかったよう。
結果は慢性胃炎でした。薬無し、食生活は暴飲暴食を咲けること。異常。

後は乳がんだけどねー。まだまだこっち岡崎市は今、乳がんが20人に1人の確率であるというのに、ちゃんと見てくれるとこがクリニックでは1件しかない。後は市民病院、(要紹介状)
こんな現状だから、乳がん検査に行かない人が多いんだよ。

その岡崎に1件しかない病院も電話で予約とろうとしたら、「2ヶ月先まで埋まってるので、もう突発で来てください。」だって。何時間待つんだろー。

まあ、お父さんのことが落ち着いたら、行こう。

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by papaya_mango | 2010-09-21 15:38 | 脳梗塞 /介護

何が起きてもマイペンライな島プーケットから今日も海に陸に忙しく発信中 。


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