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壮絶な一週間

退院してもう明日で一週間。はっきり言ってすごい大変だった。
最終日、リハビリで何か痛いことをされたらしくて(立ち上がる練習のときに車椅子ごと腰が上がってしまい、それがきっかけですごい痛がって、全く動けなくなってしまった。)
しかしもう退院。
今は何をやるにも二人がかりで父を運ぶ。
本当に何も動かなくなってしまった。
今までは母一人のサポートで何とか起き上がっていた者が、頑として後ろに反り繰り返り、絶対に前かがみにならずすごい腕力と腹筋で拒否をする。

もう一度痛い!!という思いをしてしまったので体が拒否してしまったのだ。
こんなんじゃあ、家に連れてきても常に二人居ないともう何もやれない。
痛がる父を無理やり二人係りで起こすのだ。

起き上がった後は母と二人で肩で息をするくらい大変。

なんでこんな風になっちゃったの?

こんな調子じゃあとても母を置いて帰れないよ。
おとといはあまりにも動かない父にぶちきれて
「困難じゃあ私何もやれんじゃん!!かえれんじゃん!!」
とかんしゃく起こして大泣きした。
母もさすがに「もう泣けてくる。こんなにやってるのに何でアンタはわかってくれんの?」
とがっくりと肩を落とす。

土曜日に退院、そして日曜日にはあまりにも腰が痛がるのでリハビリのときに何かなったのか?と母とふたりで父を運び市民病院の緊急外来。(運べないから救急車よぼうかと思ったけど
命に別状あるわけじゃないし、もう既に過去3回も入院する前に呼んでいるのでやらしいからとやめた。)
結局緊急外来じゃあ何も分からないので月曜日に整形外科へ。
そこで見てもらっても新しい傷は無いらしいので、とりあえず痛みを取るための注射を15回うちに来てくださいといわれ
これで本当に痛くなくなるのかどうか分からんけど、私がいるうちにやれることはやろうと毎日父を運んで注射をうちにいっている。

病院に寝泊りしてたときよりもハードになった。
夜10時から朝6時半までバイトして帰ってそのまま病院へ。お昼ごろソファーで数時間うとうとしたらそのまま夜またバイト・・・。
さすがに体が参ってきた。

本当にあと2週間でお父さんがもう少し動けるようになったらいいのだけど・・・。
母はもう「きりが無いしあんたの生活をこれ以上犠牲にする必要ない」というけどさすがにこのままでは帰っても罪悪感だ。
なのでまだ飛行機のチケットは取っていない。
本当は17日までに帰りたい。
初めてのクリスマスもニュウイヤーもバレンタインも祝えなかった。
せめて彼のBIRTHDAYには帰りたい。

彼も本当に3ヶ月も良く辛抱強く待っててくれると思う。
4日に一度は電話をくれる。自分で日本語を頑張って覚えて無邪気に私に聞かせてくれる。そんな声を聞いて私はいつも胸がいっぱいになって泣いてしまう。
「本当に帰ってくる?」
必ず一度はこう聞かれる。
そして私はいつも「 i hope」と答えてしまう。

そんなこんなんで今度は私の体の調子が悪い。
このあいだ大腸にポリープが発見された。検査結果はまだ出てないけど陽性だったらとらないといけないし、それこそ来月かえるのがむづかしくなる。

本当に長年病院行った無かったからいろんなとこにがたが出てるのかなあ。
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by papaya_mango | 2008-02-29 16:57 | 脳梗塞 /介護

こんどこそ・・・!

ようやく退院の話が来たよ~!!何事もなければ明日退院!!
私の病院の泊まり生活も今夜が最後だ!

最後なのでやさしくしなくちゃ・・・。とは思うのだけれどもまた切れるか??
私は12月22日からの看護だったけど、お母さんもお姉ちゃんも
「ここに入院したときはあたしたち半そでだったよ」と笑いながら言う・・・。
ざっと4ヶ月??
私の帰る二ヶ月前から母はこんな生活(毎晩病院に泊まりで家のことをやりに日中数時間だけ家に帰る)週末は長女が金曜と土曜とまりで時々二番目の姉が土日の日中長女と交代で数時間看護。こんな生活を一ヶ月以上送ってた。

でも私は知らなかった。だって電話しても次女のMAILでもたいしたこと無いって言ってたんだもん。

介護は家族の忍耐と協力だ。
よく先を悲観して心中しちゃう人居るけどうちはもう6年もこんな生活している。母はすごい。
すごいポジティブだ。

私なんかは「もしお母さんがお父さんよりも早くいっちゃったら、絶対面倒みれんよ。悪いけど」
とお父さんには言う。そのたびにお父さんは「まあそんなこと言わんでなかよくしようよ」と表情の無い顔で言ってくる。

うちら姉妹がここまでやるのはやはり母の頑張りを見てるからだろうなあと思う。
がんばってがんばって、ぎりぎりまで私に何も言わないで、それでももう限界が来たときに初めて「帰ってきて欲しい」と言った。
だから、本当に限界だったんだろうなあ。あんな病院の寝返りも打てないベンチ式のベットで毎週5日間寝泊りしていた母。

だからやはり仕事は失ってしまったけど
日本に帰ってきたことは後悔しない。これでPHUKETに帰っても二度とあの店には顔も出したくないと思うけど。

でもようやく私もPHUKETに帰れるかなあ???
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by papaya_mango | 2008-02-22 15:58 | 脳梗塞 /介護

そうよ私は犬なのよ。

9日の朝、私は病院でお泊りだった。
お父さんに朝食を与えぼんやりTVを見る。(病院のTVってTVカードを1000円で買ってそれで24時間見ることが出来る。それに+冷蔵庫を使いたかったら冷蔵庫使用時間24時間でTVカードから-2時間引かれる。)すごいけちだ。当たり前なのか??

ふと外を見ると、おおお~雪が降っている。どうりでなんとなく底冷えしてたはずだ。
今日は土曜日なので
長女が夜は泊まってくれるので私は姉がきたら交代で家に帰れる。そして今夜はバイトだ。
積もるまでもないかなあ。
などと思っていたらあれよあれよと一面が白くなりだす。

夕べはあまりにも頻尿の父に切れて早朝から喧嘩していた私たち。
だっておしっこが出たっていうから尿取りパットを付け替えようとしてパットを外したらちゃーっておしっこしちゃうんだよ?
「何で外してるのにまるの!!」
とおこると「お前が傷口をたたくから」とわけの分からん返事。
「お前が怒ってるから変えてもらえんかと思ってまった」
「今起きてオムツ取り替えてるところじゃん、それもわからんの???」
もう、堂々巡りだ。怒っちゃいけないんだけど、(もうまともな会話は出来ないから)しかし腹が立つ。
しかし父にも働かない頭の中で言い分があり、今日は朝から来る人来る人(回診の先生、看護士さん、お見舞いに来てくれた親戚)に、自分に比はなく娘にいじめられていると切実に訴えていた。もう勝手にしてくれ。

父が話しかけても「話しかけるな!」と、返事をしない大人気ない私。
しかし、こんなに降ってちゃあ、姉も安城から来るのは大変だ。バイト先も山間部の高速道路なので絶対今夜はいけないだろう。はらは立つがもう一晩ここに泊まろう。と思ってたところに姉登場。道は凍結しとらんからはよ帰れ。といってくれて家に帰れることに。
(当然父はこの後姉にわたしがいじめたとこんとんと 語ったそうだ。)←横道にそれるが、それでもまだ私がPHUKETに居たときは私がそばに居ないからFUMIKOに会いたい。FUMIKOがいい。と散々言っていたそうだけど、今は毎日私がそばにいて怒るので3人姉妹の中で私のことが一番嫌いだ。そしてその当時は母の次に面倒を見ていたのが、長女だったのでしょっちゅう姉に怒られ、くる人くる人に姉の悪口を言い続けていたそう。
今父にとって一番いいのは二番目の次女だ。なぜなら二番目の姉はまだ小さい二人の子供がいて会社もいってるし、たまの休みも子ども会やらいろいろで、めったにこれない。本当にたまにしか来なくて少しの時間しか居ないから父が足をさすってくれ、とかいろんな我侭な頼みもほいほいやってくれるから。私も長女も「きりがない!さっきもやった!!」とやってやらないからね。

そして帰り道。ぎゃー凍結してるよ!!特にうちのほうは岡崎でも山のほうなので本気ですぐ雪が積もる。3年ぶりの雪を見ながら(スリップした。でれー怖かった)家に帰ると、二番目の姉が着ていた。病院行こうと思ったけどあまりの雪と渋滞でうちにUターンしたそうだ。)
私が帰るなり「FUMI!!雪だるま作りたい!!」と二人の甥っ子にせがまれそのまま外へ。家の裏は真剣な銀世界。甥っ子二人と雪だるまをつくりついつい雪合戦や、天使の羽つくりなど矢って(これは雪の上にねっころがって手足をばたばたさせるとその後が天使の姿に見えるというもの)約一時間、10歳と5歳の子供にまぎれてばばあがまたもや同じようにびしょぬれだ。当然母に怒られた。
まさに♪犬は喜び庭駆けまわり 状態だったのでした。

翌日は朝から雪かき、作った雪だるまはこんな感じ。
あー楽しかった。
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by papaya_mango | 2008-02-11 15:55 | 脳梗塞 /介護

再び手術

前回の手術、は成功して私も家族もいよいよ退院か??と思ってたところに再び暗雲が振ってきた。右太ももの付け根からカテーテルを通してバイパスをつなぐ手術をしたのだけど、そのときの動脈の傷が治らずに今度は仮性動脈瘤が出来てしまった。うえから圧迫して何とかと労としたのだけど固まりはどんどん大きくなり(ツーか、すごいこの機械を押されて父は悲鳴を上げて一晩中痛がった)
またもや手術となった。
入院して3ヶ月、そして4回目の手術だ。最初の入院から病状はすっかり違うものに変わっている。こうやって次から次へといろんな病気が出てくるんだろうな。

そして今日は手術。私も10日ぶり以上にネットに来た。

深夜のバイトも疲れるといえば疲れる。笑顔を振りまき9時間たちっぱなしだ。
高速の小さいサービスエリアにあるので深夜の客は99.99%トラックの運転手だ。(それも怖い)
なのでこの店も彼らにしてみたら吉牛レベルで深夜にガッツり恐ろしいくらいの高カロリーオーッダーをなさっていく。こんな物を深夜に食べるなんて女の私からしたらああ恐ろしい。

しかしどうしてこうした男社会の会社で生きている人間はこうもえばるんだろう。
マルタに居たときも思ったが日本人は所詮日本人にしかえばれないんだろうなあと、ここで働いてつくづく思う。

この間はドリンクにホットコーヒーをオーダーした運ちゃん。しかしメインが出てくるのが(深夜なのであまり作りおきはしない。フライドポテトなんて揚げて7分で売れなきゃ廃棄だ。私には今もったいないお化けが取り付いている)4分くらい待たせてしまった。
「大変お待たせしました」
と渡そうとしたら
「コーヒーなんかもうぬるいわ、あたらしいのにかえんか」と怒鳴られ、新しいのに変えてお渡し、もちろんむこうはありがとうもなしに去っていく。コンプレインにもいいようがあるだろうと思う。きっとこの人海外でこういうサービスを受けても何もいえないんだろうなあ。

しかしすぐ次のお客様の応対してたらしばらくしてさっきの人が入ってくる。そして誰も居ないレジの前で何かぼそりと言ったのだけど、私は既に他の人の応対中。深夜はスタッフも少ないのですぐに対応が出来ない。私は今受けている人の応対が終わりすぐに「お客様?どうなさいました?」ときいたら「ストローよこせ」と怒鳴ってきた。そして別のスタッフがすぐに飛んできてストローを渡したら「ふつ~はすぐくれるもんだろうが」と怒り奮闘でストローをひったくりさっていった。・・・・ホットコーヒーにストローつけるなんて私教わっていません!!

これ以外にもなかなか不思議なお客は多い。

本当に何時PHUKETに戻れるんだろう・・・。彼は何と日本語教室に通い始めたらしい。
日本語なら私でもAYAKOさんでも(←勝手に)教えれるよ~!!!!
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by papaya_mango | 2008-02-05 15:33 | 脳梗塞 /介護

何が起きてもマイペンライな島プーケットから今日も海に陸に忙しく発信中 。


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